下町の車両基地

顔が地下鉄っぽくて、漫画とか歯とか声優とかが好きらしいです。

僕がほんの少し舞台に詳しい訳 その2

 

※これの続きです。

yosakoi-hnymt.hatenablog.com

 

 いろんな人に芸術に触れて欲しいと意気込んで大学に入学しました。

 橋渡しのような人物になりたいと考えていました。

 芸術経営をやりたいと言っても、芸術の"ゲ"の字も知らないし、正直『そういう人物になれればな』と曖昧な考えしか持っていませんでした。これが今後足を引っ張ることになります。足枷です。

 

 

 まず入学して様々なことに挑戦しました。演技に音楽に舞踊に伝統芸能に文献研究など、とにかく伝える人間になるならそれらの楽しさを自らが理解していないといけない』と思い込んで、言い聞かせて、チャンスがあれば挑戦しまくりました。実際芸術分野に取り組んでいるときの自分はものすごく生き生きしていたと思います。

 1年の秋、大学での演劇公演プロジェクトに参加しました。スタッフとして、希望していた宣伝広報部での仕事をすることになりました。

 正直辛かったです。雑務は押し付けられるわ、チーフから罵倒されるわ、男子は自分しかいないわ、毎日終電を逃しての作業が続きました。これが3ヶ月、とにかく心と体に負担がかかりまくりました。舞台が創られていくまでの過程であるとか、広報部の仕事内容とか、乱暴にだけど学べた気がします。ただ一番は終演後のお客様の満足した笑顔、あれを思い出すと自信をもって関わって良かったと言えると思います。

 ただそこで一番感じたのは自分の舞台に対する知識の無さなり、行動力の鈍さであったり、協調性の足りなさであったり、とにかく未熟な自分を目の当たりにしました。同時に、プロダクションに対して直接的に役に立てなかったもどかしさが残りました。

 

 

 2年次、僕は一度プロジェクトを離れ*1、他学部の授業を履修するようになりました。心の中では過酷な状況のプロダクションから逃げ出したかったのかもしれません。都合のいいように「学べるのなら他の学問も学びたい」と逃げていました。だけど学びたいことがたくさんあったのは本当です。正直芸術で食って生きる人間なんて才能がある人間か頭の回転の速い人間でないといけないので、僕には程遠い人物の一握りでしかないと当時は考えていました。なので保険という考え方もできますが、"自分だけの武器が欲しい"という理由が正しいです。舞台をやる上での武器、直近では大学の舞台制作プロダクション、将来的には自分のアイデンティティにいたかったのです。

 

 

 プロダクションを離れて何を勉強したのか、高校時代に興味のあった経営学や観光学・心理学・社会学と興味のあるものはとことん履修した気がします。特に観光、高校時代に鉄道研究部で部長を務めていた経験があり、友人の6割は鉄道つながりで通じ合った仲でした。なので同年代の友人は大学で鉄道に関係すること(観光・都市計画・建築など)を学んでいました。だから話を聞くなり「面白そう!」と食らいついて学んで「何かしら芸術に活かそう」と謎の野心を燃やしていたのでした。

 学部の実技校舎と他学部校舎を行き来する生活でした。それでも初めて触れる学問の世界はとても面白く、基礎学力のない自分*2にはちょっとアカデミックで賢ぶって見えたのでした*3

 そんな中マーケティングなり心理学なりマスメディアなりの授業を受講、成績は自慢できるほどではないですが、様々な教授と交友を持つことができ、時々学食でご一緒することも多くなりました。授業じゃ聴けない貴重なお話も伺えましたし、特に嬉しかったのは「今から転学したらいいよ」とか「うちのゼミ来る?」とお声をかけていただいたのは今でも鮮明に覚えています。

 

 そんでもって結論、他学部の履修は芸術を学ぶ上で役に立ったのか。

 

 ものすごく役に立ちました。

 

 はっきり実技系の授業は遅れをとるレベルで足手まといの自分でしたが、レポートを作成する、文献を調査するなどのことに関しては他学部の先生に相談したところ1からアカデミックスキルを学ばせてもらい、役に立てています。

 一番ぼんやりした言葉で表現するなら、「視野が広がった」というのがわかりやすい表現かもしれません。

 正直2年生の段階でははっきりとした結果は出ていないので一概ではないのですが、とにかくなんかよくわからないけど力が湧いてきました。完全にイキリオタク*4でした。

 それにならって秋学期も所属学部の授業と他学部の授業を併用して履修しました。正直今回は「逃げ」ではなく「役に立つから」と思って履修しました。逃げるは恥だが役に立つとはよく言ったものです。なんでもないです。

 所属学部でも専科に分かれていく頃合いでしたので正直両立はアレ*5かなと思っていました。それでも大二病は面倒くさい生き物ですので「俺はやればできる子だ」 と過信して乱暴にやりきりました。今思い返せば無謀でした。

 

 

 3年次の春、専攻に分かれていきます。私は演劇を専攻して、その中でアートマネジメントと演技の授業を積極的に履修していくようになりました。もちろん加えて他学部の授業も履修していましたが、経営と観光に絞って"聴講"という形をとりました。むやみに授業を履修して単位を落とすわけにはいかないので。

 他学部履修を減らした分、他の芸術分野に対しても少しずつ学ぶようになりました。上演芸術の他にもデッサンなりクロッキーなりにも手を出した気がします。

 一番の変化はアートマネジメントの勉強を直接できたことでしょうか。ここでやっとマネジメントの授業で習った内容が活かせたと思います。公共文化とか芸術教育とか、そんなことにも活かせた気がします(プロジェクトを運営する力を養った)。

 あと演劇公演プロジェクトのプロダクションに1年の秋ぶりに復帰することになりました。同級生からの熱い説得に負けました。作成企画の演劇コンペに参加して作品制作に没頭しました。ここで活かせたのは"リサーチ力"でした。

 戯曲を1から創るということで、何から何まで調べました。その中でアカデミックスキルの1つである文献研究がすごく役に立ちました。気になることはとことん調べてました。作品ノートも積み重ねていた記憶があります。

 3年秋に本格的にプロダクションに参加、1個上の卒業公演への参加でした。ここでようやく演劇作品を作りながら今まで培ってきた力をどのように作品に活かすかというものを実践できた気がします。日々先輩方のお手を煩わせて、夜通し作品について語り合ってました。戯曲を読み解く力とか舞台上に表現する力とかとにかく語り尽くせないことを学んで、育んできました。けど1番はそんな理屈より、演劇って楽しいって素直に思えるようになってました(身体に相当なガタがきていたのは秘密です)。

 

 

 4年次の春、僕たちの代の就活戦争は例年より遅れてやってきました。とにかく工面したのですがそこは気が向いたらで… 就活のためにプロダクションから一時的離脱して専念、並行して兼ねてから興味があった観光まちづくりのゼミを聴講させていただきました。これには3年の春からお世話になった経営学の先生からお声がけを頂いて実現したもので、「演劇の経験を活かして何かしら社会の役に立ちたい」と思っていたところ「観光にも興味があると言っていたし、芸術経営以外の勉強もしていないか」とおっしゃていました。

 けど待ってください、ここで当初の入学理由とちょっとずれてしまっています。これはつい最近まで気がつきませんでした。

 ①芸術を勉強するために大学に入学して、

 ②自分だけのアイデンティティが欲しい(大学生のうちに気になる学問を並行して勉強してしたい)と考え、

 ③いざ学部の専門授業を受けたら楽しくなって、

 ④将来は演劇の経験を活かして社会の役に立ちたい。

 

と、僕の考えはこのように推移しています。簡単に言うと、自分にしかできないことがしたかった、と。

 当時(現在)も他学部を積極的に履修して卒業要件ギリギリで在学しているのは僕だけですし、異色な経歴だとよく研究室で話されます。自分は自分にしかできないことをやってるんだって。

 

 やっぱりこの考えが足枷になりました。視野が広まった分、企業や職業に関して標準が思うように合いませんでした。何をやっても曖昧にまとまってめちゃくちゃにお祈りされました。もちろん、芸術系を扱う新卒の仕事は少なかったので並行して観光や公共交通など、他学部履修や聴講で学んできたことと演劇公演プロジェクトで学んだ実践的なチームワーク*6を組み合わせたら強いんだろうな、高校の時から興味があった業種だしと考えてました。

 

 

 4年の秋までもつれ込みました。就活から逃げるように演劇プロジェクトに戻りました。実際にチームで作品を作っていくうちに、やっぱりなにかしら作品を創るのが好き、それより終演後のお客様の笑顔を見ると自然と「やってよかったな」って実感してる自分がいたのに気付きました。

 秋は合計で7公演ぐらいに携わってました。正直今思い返すと就活と並行してやっていたものですからすごく意味不明なことをやってました。「最後だから」「やりたいから」全部自分のわがままでやってました。しかし自己責任なわけで、当然自分自身潰れることになりました。何もかもできなくなる、とにかく体と頭と感情がかけ離れて意味がわからないぐらいに行動できなくなりました。軽い うつ状態だったと踏んでいます。

 

 

 結局様々な人の助け(特に大学の就活課・研究室)の助けを借りてなんとか持ち直し、稽古と就活とスタッフ作業を両立できている自分がいてびっくりしましたし、何よりも作品を創っててものすごくワクワクしてる自分がいるし、やっぱり好きなんだなって思いました。

 ちなみに経営側のゼミもしっかり聴講してました。こっちは来れる時でいいと結構甘々だったんでなんとかなりました。だから、公演と就活とゼミといろいろやってました。あと並行して大学の手伝いとか、研究室の雑務とか、なんだかんだポンコツなりに頑張ってました。失敗は多かったですけど。

 あと4年間を通して他学部を履修したこと、本当に正解でした。

 演劇作品を作る上での文献研究や事実のかみ合わせなど、本当に役に立ちました。登場人物の心情から背景まで、一からしっかり作り込めたかと思ってます。

 例えば舞台となる土地について一つづつ調べることによって、その人物の生活や所作が一つ一つ変化していきます。

 あとこれは自分の場合なんですけど、方言を扱う舞台に多く参加しました。なので方言についてよく調べたなって記憶があります。青森から沖縄まで、よくやったなぁって。

 調べ上げることがすごい楽しかったです。知らないことを知るのは今でも楽しいですが。

 

 結局、今後も舞台に関わることになりました、内定をいただきました。一周回って運命なのかなって思いまいた。

 それからはずっと演劇まみれです。演者として舞台に立ったり、パンフレットやフライヤーの作成をやったり、チケット予約の管理をしたり、舞台装置を仕込んだり、客席のメンテナンスをしたり、大掛かりな放送施設を扱ったり、照明機材をいじったり、映像つくったり…

 舞台に関していろんなアプローチをして来ました。

 何から何までやった気がします。

 これまでに「笑顔をつくる仕事がしたい」と無我夢中で泥臭く頑張ってきたからこんな人間になりました。

 つまり、舞台にほんの少し詳しい理由は、「人を楽しませるエンタテイメントの力を信じている」からです。

 商業演劇に、小劇場に、ライブに、ヲタクイベントに、在学中に多くの現場を見てきました。これらは「楽しむ」というのはもちろんなのですが、人を楽しませることに対しての憧れ今後の自分のための勉強って意味合いが強いんです。

 だからイベントで図面を参考に演出の方法なりを見たり、もしも自分があの舞台の裏側にいたらとよく妄想して演出プランを考えたりと痛い人間になってしまったのです。

 簡単に言えば職業病です。

 だからナナシスのライブDVDを見ていろいろとイキり出したり、WUG*7のライブを見て振り付けのクセを見抜いたり、まんがタイムきららフェスタで某声優のバレエ経験を言い当てたりと気持ち悪さ全開でヲタクしているのです。

 

 ※他ヲタクから見た自分の気持ち悪い言動まとめ

 

 

 こう散文にまとめてみると、入学当初の好奇心と意欲っていうのはそう簡単に薄れていないことが自分でも驚きでした。

 今後も自分が創作する意欲を忘れず、大学での経験を思う存分に今後に生かしたいと思いました。

 

 おそまつさまでした。

 

*1:単位制で強制履修ではない。

*2:お察しの通り私はただのバカである、特に計画性と理解力がない。

*3:時は大学2年生、いわゆる大二病である。

*4:調子に乗っているオタク。関西弁のイキるの変化。

*5:暗黙の了解を侵している感覚

*6:実際にチームで働くという点ではものすごく力になったと自負しています。

*7:Wake Up, Girls!の略