僕がほんの少し舞台に詳しい訳 その1
前回の記事を投稿して、「舞台ガチ勢かよ」というお言葉を頂きました。
※前回の記事
いきなり舞台断面図を取り出したり、バミリがどうたらこうたらとイキリヲタクしてるのも今見返すとアイタタタ…という感想を受けます。
自分自身ペーペーな知識で書いているので本当に信用しないほうがいい内容ばかりでした。
しかしなぜここまで長文をかけたのか、
ずっとライブイベントに通っていて身にしみるように覚えた。
って言えればかっこいいんですけどね。その気持ちはありますけど僕より思い入れの強い人は世の中にごまんといらっしゃいます。
そうではなく、学んでいたからです。
僕は大学で演劇について勉強していました。
正直、舞台芸術に関わることはすべて触れてきたと思います。濃い大学生活でした。
舞台図面も読めるようになりましたし、照明の吊り位置も遠くからわかるようになりましたし、関東近郊のコンペディションホールの概要なら覚えています。
なぜ大学で演劇を学ぼうとしたのか。
時は高校2年の2011年、東日本大震災が起きたことは誰もが知っていると思います。
当時千葉に住んでいた私も震度5強-6弱の揺れに襲われ、遠くの沿岸では工場が火災、海沿いの街は地盤沈下でインフラがストップといった状況でした。
それから数日は各テレビ局が震災の報道一色、テレビCMも全て自粛してACジャパンに切り替わっていきました。
津波のこと、避難所のこと、インフラのこと、計画停電のこと、全て新しい情報が更新されるまで同じ報道の繰り返しでした。
正直高校生のクソガキながら怖かったです。大きな災害といえば阪神淡路大震災が挙げられますが、94年-95年に生まれた世代にとって初めて目の当たりにする光景だったのです。
それからしばらくして、高校の先輩と瓦礫処理の作業に参加するために宮城県気仙沼市と福島県いわき市を訪れました。その中で感じたのは『インフラも大事だけど、心のケアも大事なんだろう』ということです。作業の間に休憩で避難所となっている中学校などでお世話になることもあり、地元の方とお話しする中で感じました。町の傷は綺麗になっても、心についた傷はそう簡単に癒せないんだなと。
この考えを持つものは僕以外にもたくさんいらっしゃいました。2012年10月に『東日本大震災による被災地の復興支援のため、ライブエンタテインメントを通じた様々な活動を行う。』ということを目的とした社団法人が誕生しました。チームスマイル、豊洲・仙台・いわき・釜石でPITというライブハウスを経営し、復興支援のために活動している団体です。
その団体いわく、『インフラの整備などが進み、震災復興は“第二段階”を迎える。決して十分とは言えないまでも、衣・食・住の整備が徐々に進みつつある中、「心の復興」を中心に、被災地の方々と支援者とが想いや感動を共有し、共感し、「共に立ち上がれる仕組み」を、それも継続的に作り出していくことが求められている。』
実際にも震災直後は、コンサートや演劇・スポーツなどイベントの開催中止や延期が続々と決まっていました。しかしながら逆に、エンタテインメントには被災地の方々に勇気や元気を届ける力があるはずだと共感しました。
この団体自体は私が高校3年の秋に形となったので、団体の設立は芸術を学ぼうという直接的な理由にはならないのですが、考え方は非常に近いです。
その考えを高2の時から持つようになり、ちょうど進路を決め始める時期と重なったことから、「芸術分野」という言葉が頭に浮かぶようになったのでしょう。高校2年生ということもあり絶賛"高二病*1"でしたし、私は男子校で青春を犠牲にしましたから、周りのクラスメイトもユニバーシティドリームを掴もうと夢は大きく持っていたのも影響しています。大雑把な夢を荒削りに表現していました。「人を笑顔にしたい」って本気で思ってました。
エンタテイメントが本気で「心のインフラ」としてこれからの世の中で必ずしも必要なものになると思いました。
あともう一つ、本格的に舞台作品にはまった時期がありました。ラーメンズです。小林賢太郎氏の戯曲集を読んだのがきっかけでした。文字だけの情報が舞台上だとこんなに変化するんだ、こんな表現の仕方があるんだなと。なのでそこからいろんな作品を見た気がします。正直内容は忘れました。大半が拙い高校演劇とかだったので。ただエネルギーに圧倒されました。その場で役者と作品を共有しているからこそ生まれる感動のエネルギーの虜になりました。
あとはアニメです。特に声優です。根っからのヲタク体質ってこともあってのめり込みました。声のみでの表現の仕方って様々だと思ったんです。「あっ、この人こんな声も出せるんだ」とか「なんか頭に残る台詞回しだな」とか、アイドル声優の創立期ぐらいの話です。スフィアとか、そんな時代です。
そんなこんないろいろ含めて、「世の中の様々な人に芸術作品・エンタテイメントに触れて感動して欲しい。それらを通して心を豊かにして欲しい」と将来の目標のように口癖になっていって、将来の目標として大学を考えていったんだと覚えています。
その中でエンタテイメントや芸術分野にだんだんと興味を持つようになりました。当初は比較文化としての芸術を学ぶとか、経営学部でマネジメントを淡々と学ぶと進路を考えていたのですが、高校の時の担任との面談で、『正直"芸術"を伝えるとなればアーティストに、それこそお前の好きな声優を目指すのが曇りのない将来だ。しかしなぜ経営なのか』と言われました。ダルビッシュの直球が僕の内角低めを抉ってきた感覚でした。言われれば確かにそうだと。だから他人の先生は『今まで何にも芸術をかじったことがないなら基礎から勉強していく必要がある、そして、オールマイティに芸術も経営も勉強できる大学を探す。』とおっしゃった。その答えがアートマネジメント・芸術経営という形となりました。
決して頭も運動神経も良くなかった自分、できることは目標が決まればそれに向かってやれることに打ち込む、結果、晴れて芸術経営を勉強できる大学に入学することとなりました。
これが僕が大学に入学した理由です。
気が向いたら入学してからも書いていこうかと思います。
(追記)
→その2