母のそばの蕎麦
年始は実家で過ごした。
正確には昨年の大晦日に、千葉にある実家に帰った。
なぜ帰ったかというと、母親から以下の連絡(LINE)が飛んできたからである。
「海老天、何本がいい?」
無論2本である。
なぜ海老天なのか、それは大晦日で年越し蕎麦を食べるからであるだろう。
いやしかし、この一文に込められた意味を私なりに噛み砕くと
「今日は大晦日だけど、実家には帰ってこないのですか?せっかく大学がお休みなのだから少しぐらいは帰ってきて大掃除の手伝いをしてほしいです。」
となるのである。
しかしながら年末は毎年、日本最大級の同人誌即売会に参加しているため、大掃除をするような時間に帰ることは不可能なため、
「2本」
と返信した。
母親も同人誌即売会に参加していることは知っているので、帰りが遅くなるのは知っているはずだ。なので大掃除を担うことは無理無理のカタツムリなのである。
大学3年の頃からゼミの配属になり、作品制作のために大学の周辺で下宿生活を始めた。実際、大学に入学してから終電帰りや大学に泊り込むことも多く、実家から大学まで2時間ほどかかるということもあり、生活の効率化のための行動であった。
実家にいる頃から母からの連絡は多く、
「何時に帰ってくるの?」
「大学の帰りに牛乳を買ってきて」
「ちゃんと鍵をかけて外出しなさい」
と一般的な母親、カテゴライズするとオカンという感じの連絡ではある。大学1年の頃は大学生といえど数ヶ月前まで高校でハチャメチャやっていたクソガキであるため、しっかり連絡を返すということは少なく、曖昧な回答や俗称"既読スルー"をしていた。
今思い返せばこのような態度をとれば、自分なら怒るというより、心配をしてしまう。しかし母は私が帰宅しても怒ることなく「遅かったわね、晩御飯は?」などとそこまでLINEのことには触れることはなかった。
親元を離れて生活すると親からの連絡は4倍5倍にも膨れ上がり、
「野菜を食べなさい」「外食は控えて」などの食生活の管理。
「今日は雨が降るみたいだからちゃんと傘を持っていくこと」という配慮。
「かわいい」という文章とともに送られてくるカワウソの画像。
「地震があったけど大丈夫?」「大雨洪水警報が出ましたよ」と災害への心配。
要は心配性なのかもしれない。
現在私は大学4年、もう2ヶ月もすれば卒業で、就活というクソイベントを経験した。その時も母親はくどく連絡をしてきたが、ウザいとかしつこいとかいう気持ちにはならず、心の支えというか、普通に心配してくれてるんだなと素直な対応を取れた。素直な対応といっても、「わかった」とか「ありがとう」とかその程度である。時にはポプテピピックスタンプやにちりんノートスタンプで少しふざけて対応することもあった*1。
LINEでメッセージや電話をしてくるだけではなく、母はたまに手紙や荷物を送ってくれた。中身としてはアウトレットモールで見つけた服や靴や鞄、洗剤などの日用品、クール便で大学宛に手料理を送り込んできた時もあった*2。就活で苦しんでいた時には上野東照宮のお守り*3。
母の心配や応援に対してどのように返すというのか、就活で完全に気分が沈んでいた時期にふと『心配しかかけていて情けない』ということを考えた。そのことを友人に話したところ、『そんなに深く考えるつもりはないし、大学生のクソガキに親には迷惑しかかけれない、だから感謝と安否だけ伝えればいい』と言ってくれた。そこまで情けなく感じることもなく、社会の荒波に飲まれ親の老後をしっかり面倒みれればいいのだ。まずはしっかりと生きて、母を安心させることが一番の親孝行なのかもしれないのだ。
2016年最後の日、私が実家に帰った時、テレビの中ではアイドルグループの嵐が歌っていた。そのシーンは年末の大イベント"紅白歌合戦"で大トリが歌うほどの遅い時間に帰ってきたことを表していた。
母の第一声は、「おかえり」ではなく、「今嵐が歌ってる位から手洗いしてうがいして部屋着に着替えて待ってなさい」。母は嵐の大ファンである。22年間育てた息子でもジャニーズのイケメンたちにはかなわないのである。
全出演歌手のハイライト映像に切り替わり、母は2人前のそばを台所から運んできた。
「先に食べちゃおうと思ったんだけどね。」
ごめん、打ち上げがさ。と続けようとしたが、母は僕の前にエビ天が2本乗った蕎麦を置き、「いいのよ」と遮られた。
「おかえり、早く食べちゃいなさい。」と口にする母の顔は、食卓に並ぶ蕎麦の湯気に隠れてよく見えなかった。
初詣と縁結び
皆様、あけましておめでとうございます。
年末にブログを開設してからちゃんとした投稿は初めてなのかなとは思いますけど、今回も挨拶から始まってしまいました。
年を越えて、新年になったという実感は元旦から一週間も過ぎれば薄れ、大学の授業も再開し、卒業制作(普通の大学生なら卒業論文、通称"論文"を書いて卒業するのであるが、私が学んでいる学問は芸術分野になってしまうので卒業制作、通称"卒制"を行って卒業する)のために多事多端な状態です。
大学が始まる前に、初詣に行きました。人間、特に私はよく深いもので、彼女も恋人おらず非・リア充である私は恋愛成就にご利益のある東京大神宮に行こうとしたのですが、入場まで3時間待ちの行列、列形成が飯田橋の駅前までできていました。
そのため場所を変えて神田明神へ向かいました。こちらも縁結びに強い神社であるのと、過去に何度か訪れたこともあったので、よく家族で参拝したのは記憶に残っております。
年始とあって初詣客が押し寄せていましたが、ここは30分程度の待ち時間ですみました。
しっかりと二拝二拍手一拝し、心の中でよく深い願いを唱え、お守りを授かり、おみくじで助言をいただくというのが自分のなかで参拝のゴールデンルートとなっており、お守りは願いが成就するもの、おみくじは吉とごく一般的な結果となりました。代わり映えのしない結果も、日々の平穏な生活につながると考えればものすごく良い結果なのかもしれません。
東京大神宮と神田明神、両縁結びの神様を訪ねて気がついたことはどちらも若い女性が多かったです。東京大神宮は特にでしょうか。対する神田明神は男性の参拝客(特に堅実で真面目そうな身なり)の方もいらっしゃいましたが。初詣ということもあってちゃんと老若男女共にいらっしゃいます。ただ、一人で訪れる女性の一部の方にはかなりの圧力といいますか、熱意を感じる人も見受けられました。目が本気なんです。もしかしたら、東京大神宮の参拝時間が極端に長かったのは、皆さん良縁を強くつよく願っていたからなのかもしれません(ただ、履いているタイツが伝線して身だしなみが汚かったり割り込みをしたりと、自分とか周りとかが見えていない方もポツポツと見受けられ、そのような所が縁から遠ざかる原因じゃないのかな、と感じる場面もあったのは秘密です)。
カッコのように、身だしなみの崩れは内面の崩れでなのかなと感じるきっかけにもなりました。身なりを整えるというより、自分も周りに嫌な思いをしないためにも、落ち着いて行動する、前を見通して動くというのは大事なことなのでしょう。卒業制作で阿鼻叫喚している今だからこそ、今一度、自分を見つめ直す時間を作ってもいいかもいいかもしれないですね。
欲の羽を生やし舞い上がることなく、地に足をつけて一歩一歩確実に生きていこうと思います。酉年なので。
それでは皆さん、初めてお会いするかとも多いと思いますが、今年もよろしくお願いします。